2011/07/13

蚕さんシャーレでは限界か?


蚕さんはだいぶ大きくなりました。2齢としては大きい方でしょう。ただ,まだまだ小さい個体があって,その差が出てしまうのは,私の飼育方法に問題があるのだと思います。初めてなので仕方ないとは思いますが,工業製品のようにはいかないのが,生物育成なんですね。

2011/07/11

だいぶ虫らしい大きさになりました。


どんどん大きくなる2齢の蚕たち! まだまだ爪の先程度の大きさですが大きくなりました。よ~くみていると顔つきもわかります。モスラのようです。(^^)/

さて,ここで困ったのが人工飼料からなかなか離れない蚕さん達,新しい人工飼料を入れても,古い表面がもう食い尽くされた人工飼料にいつまでも居座る蚕さんがいらっしゃいます。このままではシャーレが飼料でいっぱいになっていまうので,仕方なく古い飼料から蚕さんを地道に竹串に移ってもらいながら移動させました。

やってみてわかりました。飼料はだいぶくいつくされています。見ているだけではわからないんですねこれが・・・。表面がすかすかで,蚕の足のねばねば成分がからみついて,とりにくくやりにくかったです。しかし無事蚕さんの移動も完了,新しい飼料の上でどんどん食べています。

2011/07/10

こんなに成長が早いのにびっくり!

どんどん大きくなる蚕さん達,卵から考えると信じられないぐらい大きくなりました。それでもまだ指先サイズですが,色が明らかに黒くないということは,いつの間にか2齢になっているみたいです。はじめてだとわからないことばかりです。

ここから先は,どんどん大きくなるようです。特にここのところ気温も高めですから,代謝も盛んになって成長も早いのかもしれません。時期によっては,保温が必要とのことですが,今年の夏は暑さ対策が必要になりそうです。

大学のサークルの先輩からFACEBOOKで,桑の葉で飼育した場合の問題点も教えていただきました。手軽に確実にという点では,1回目は,人工飼料で通した方がよいのかもしれません。

うちのやつが,隣の公園に桑が植わっていると教えてくれたのですが,毎日そこから葉っぱを取るわけにもいきません。(1枚ぐらいなら・・・だめですよねやっぱり・・・)

脱皮を繰り返すたびに,大きくなっていくようです。この調子で順調に育ってくれるのを期待!


2011/07/09

1齢動き回る



見た目はあまりかわいくないかもいれませんが,人工飼料の上にたくさんの1齢の蚕がいます。孵化(ふか)しなかった卵が1つ①,孵化した後人工飼料を食べてないやつ②が数匹いますが,他の蚕はわずか1日で体がむくむくと大きくなり,人工飼料を与えて丸1日でかなり大きくなりました。解説書によれば,順調に生育した蚕は明日にも眠(みん)とよばれる状態になり,脱皮のための準備に入ります。そして脱皮すると2齢になります。

2011/07/08

蚕が孵化したよ


気づいてみたら,ほとんどの卵が孵化(ふか)していました。小さいです。卵が小さいですから当然ですが,成長して繭を作るためには,1万倍以上になると知ってびっくりです。今は小さなシャーレに収まっていますが,今月末には,とんでもなく大きくなっているのだと思います。

与えた餌,飼育の条件,気温,湿度,栽培でも大事かもしれませんが,養蚕でも同じなのですね。

この状態は1齢と呼ばれるそうで,脱皮を繰り返し5齢になると1万倍になるのだそうです。まさに神秘的。今は本当にいるのかどうかわからないくらい小さいですから。私が購入した蚕は,学校教材としてある教材会社から販売されているものです,この蚕には人工飼料がついてきます。桑の葉をすぐに手に入れられない私にとっては助かります。

2011/07/06

蚕がやって来ました。

蚕がついに我が家にやってきました。来年からの生物育成のために我が家で夏の自由研究の開始です。これまで様々な実践を見てきましたが,地元茨城の結城市というところでは蚕がつくった繭の真綿から糸を紡ぎ,結城紬という超有名な伝統工芸があります。つくば市でも数十年前までは当たり前のように蚕を飼っていたのですが,養蚕で生計を立てている農家はなくなっていまったようです。

蚕は,以前群馬のあの有名な富岡市の近くで技術科教師をされている先生に紹介いただいたことがあります。最初に見た時にはちょっとショックを受けましたが,小学校の頃アゲハの幼虫を指の上にのせて遊んでいたのを思い出し,飼ってみることになりまいた。

蚕の飼育,特に繁殖は,養蚕業にとっては生命線で,養蚕が盛んだった当時は,一般人にはできないものであったと聞きます。蚕に関する書籍を何冊か読みましたが(小学生向けのものがとっても読みやすい。当たり前か),牛や豚を飼育されている方が口蹄疫に厳格に対処されるのと同じく,蚕にも口蹄疫のような蚕特有の病気があり,その病気が蔓延すると,地域の養蚕が壊滅的な打撃を受けてしまうからと知りました。

なにより,蚕という虫が,太古の昔から人に飼われて品種改良され,人の手なしには生きていけない昆虫になっていると知り奥の深さを知りました。まだ卵ですが,動きだすのを楽しみにしています。

2011/05/16

佐藤学の書籍を読み返しているうちに,「教師の自立的な連帯へ」という文章を再発見した。

佐藤学の書籍を読み返しているうちに,「教師の自立的な連帯へ」という文章を再発見した。(シリーズ学びと文化6 学び合う共同体 pp163-pp171)

「学び合い」や「学びの共同体」といって荒れた学校を建て直すための特効薬のように考えられている教師が多いように思うが,彼の発想の原点はそこにはない。この「教師の自立的な連帯へ」は佐藤学の「学び合い」がまだ広く語られていない頃(1996年)の文章だ。(岳陽中の実践は2001年から)

今「学び合い」は教師の自立的連帯とはかけ離れた使われ方をしていることが目立ってきていないだろうか。佐藤学はどう答えるのだろうか。教師自身が自ら学ぶことを忘れている。与えられた「学び合い」の考えをさらに発展させようとするならわかるのだが,何か定式にはめて教師を縛ることがもてはやされている。

「学び合い」という形を学ぼうとしている教師は多い,でもなぜ「学び合い」だったのかは忘れ去られようとしている。本当に必要なのは佐藤学の「学び合い」を乗り越えることなのではないか。教師の間に同僚性を築くこと,それは職員研修をするためではない,自立的な連帯を通して自分で考え学ぶ教師を育て,学校を改革することが本来の姿なのではないか。そう思えた。

2011/05/15

原発という技術のガバナンス

4月に中学校に入学したばかりの1年生に向けてガイダンスの授業を行った。技術とは何かを身近なものからアイディアを発見させる実習を行わせる中で考えさせた。授業の最後にいつの間にか原発の話をしていた。
「一般の人は技術を知らなくていいのだろうか?本当に専門家任せでいいのだろうか?」
と言い放った時の生徒たちの顔が忘れられない。

多くの生徒は,何がどのように危険で,そのリスクをどういった技術で回避し利用しているのかについても,原発事故の前にはほとんど関心がなかったに違いない。しかし,次々に放射性物質による汚染が広まり,身近でもわずかながら放射線量が増加いている現実を知って,事の重大さを実感している。

それに対して,大人の言動には信じられないものが多かった。
「福島に原発があるのを知らなかった。」
「原子力発電は環境にいいと思っていた。」
「こんなに広い範囲で影響が出るなんて知らなかった。」
そんな大人が有権者として,これまで国策として進められてきた原子力政策を後押ししてきた。

東京電力は福島と新潟に原発をつくり首都圏の電力の多くをまかなっていたことをCMしていたし,CO2を出さないといっても廃棄物や事故が起こった時に大きなリスクがあることぐらい知っているものと思っていた。私自身もこの数ヶ月で原子炉のことにはだいぶ詳しくなったけれども,その安全性に対して厳しい目を向けてこなかった大人には大きな責任がある。

2011/05/14

本当の技術(technology)の姿

中学校技術科では来年度(2012年度)から,栽培やエネルギー,コンピュータ制御など選択的内容であった学習内容が全て必修となる。多くの技術科教師が今まさに題材開発,授業づくりの試行錯誤の真っ最中だ。
少ない授業時間数でこれまでにない多岐にわたる内容を教えなければならない現実は,今にして思うと,「何のための技術教育か」と考えようとする教師のゆとりを奪い,結果的に「何のために技術を学ぶのか」を考える時間を生徒から奪っていたように思える。

2011年3月11日,東日本大震災は起こってしまった。厳しい耐震基準で建てられたこの国の多くの建物はマグニチュード9.0,最大震度7の地震に耐えた。しかし,巨大な津波は,防潮堤を壊し,鉄筋コンクリートの建物を飲み込み,多くの人命を奪い,破壊の限りを尽くした。
CO2を出さず地球環境に優しいはずの原子力発電所は,想定外の津波で破壊され,炉心溶融を起こし,大量の放射性物質をまき散らした。家に戻れない人たちが何万人もいる。放射線量が高い地域では,校庭での活動が制限され,農作物や水産物の汚染も深刻だ。

地震が起きて数日,断水が続く中,テレビやネットでとんでもない量の信じられない情報を一気に知った時,これが「技術」の本当の姿なのだと理解した。過去の地震で鍛え上げられた耐震基準。現代土木技術を軽々とねじふせた津波。どんな自然災害でも絶対安全と過信されてきた原発。

技術科教師17年目にこんなことを考えることになるなんて思いもしなかった。
「 あ~これが本当の技術(technology)の姿なんだ・・・ 」

今私たちが使うことのできる技術(technology)は,10万年前の石器以来,自然と対峙する中で数限りない先人の犠牲の上に獲得されたものだ。なぜ,今まで考えもしなかったのだろう。つい2ヶ月前まで自然は技術で御せるものであるかのうような錯覚をしていた。自然は文明を幾度となく滅ぼし,そのたびに新しい文明を築いてきたのが人間の歴史だ。戦争と技術については,様々な関連が語られてきたように思うが,自然と技術の関わりについて深く考えていなかった。
技術の発達を,今一度自然,天災との関係の中で考えてみたい。これまで気づかなかった視点がまだまだありそうだ。

2011/05/08

ようやくディスプレイに投資



ようやくディスプレイに投資して,まともな作業環境を手にいれました。昨日まで自宅でサブディスプレイとして使っていたVAIOーRのディスプレイは大きいわりに解像度が低く,なかなか使い勝手が悪かったのですが,1万7千円でフルHDの液晶ディスプレイを購入,ようやくまともな作業環境になりました。VAIOーRのディスプレイは,私が毎晩酷使したにもかかわらず6年という長寿命,なかなか立派でした。最後はスイッチが入る時と入らない時が交互におとずれ,最後は電源が入らなくなっての交換です。修理するよりも購入した方が安いのは悲しい現実ですね。

この数時間,いろいろ仕事がはかどります。作業環境は大事ですね。
さーて,これでバリバリ仕事をするぞ!