2011/03/26

震災を機に

マグニチュード9.0,つくば市は震度6。そのとき自分は学活の授業をしていた。あの時,誰もが感じたことかもしれないが,建物が壊れ下敷きになることを覚悟した。電気が一瞬止まった。数秒後おそらくバックアップの送電系統が立ち上がり,電源が復旧した。5分間ほど続いた揺れのなか冷静の分析しようと考えた。(電源が復旧したということは,原発が止まって,別の系統からの電気が送られてきたということか・・・福島の原発は無事に止まったのか?)揺れの中,生徒達に呼びかけた。「電源が復旧したということは大丈夫だ。」
初期微動がやたらに長かった。遠い震源ということ,なのに,ゆれは半端ではない,どれだけの規模の地震なんだ・・・。生徒達と共に校庭に避難,校庭の真ん中に避難している間にも大きな余震が繰り返された。宮城県沖が動き,茨城県沖までのプレートが一気に動いたと聞かされた。予測されていた東南海地震と同じメカニズムが,東北で現実のものになってしまったことがわかった。生徒達を怪我もなく帰すことができたことにホッとしたが,東北のことを考えると胸が痛かった。
小学生4年生の時に両親と東北地方を旅したことがある。宮城県の牡鹿半島よりも北は岩手県まで全てリアス式海岸,田老の港を見下ろす宿に宿泊した。山肌にはこれまでに田老を襲った津波の高さが白いペンキでマーキングされていた。明治時代に被災した時の白黒写真が残されていた。街のど真ん中に船がとりのこされ,建物が何も残ってない写真を当時の私は何の実感もなく見ていた。それが平成のこの時代に繰り返されてしまった。

この震災以来,たまにしか使っていなかったSNSを本気で使い始めるようになった。twitterだけでなくfacebookなどでのつながりが人々の考えをつなぎあわせ世の中を動かそうとしている。テレビをずっと付けているよりも,twitterで新聞社発の情報をチェックしていた方がいつでも情報にアクセスできるのには正直驚いた。確かにデマも多い,しかし,10年前や20年前には決して得ることができなかった情報に当たり前のように誰もが接することができる。これまで不可能だった情報共有が,今回の震災復興に果たす役割はとてつもなく大きいはずだ。電子的なコミュニティは,決してバーチャルなものではない,現実の社会とリンクしていることに,多くの日本人が気づいたのではないだろうか。

福島第一原発の行方を,自分はしっかりと見ていきたい。起こりうる事態をひとり一人が予測し判断することが求められている。自分が発信者にならなければ,判断する人間にはなれない。今の日本,震災後の日本を生きる一人として,自分の持ち場で自分にできることに全力で取り組むことが,新しい日本を創り上げていくと信じてる。震災を契機に,個々ばらばらだった日本人が,この国の将来を考えはじめている。技術教育の立場からこの国のこれからにコミットしていきたい。




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