2011/07/08
蚕が孵化したよ
気づいてみたら,ほとんどの卵が孵化(ふか)していました。小さいです。卵が小さいですから当然ですが,成長して繭を作るためには,1万倍以上になると知ってびっくりです。今は小さなシャーレに収まっていますが,今月末には,とんでもなく大きくなっているのだと思います。
与えた餌,飼育の条件,気温,湿度,栽培でも大事かもしれませんが,養蚕でも同じなのですね。
この状態は1齢と呼ばれるそうで,脱皮を繰り返し5齢になると1万倍になるのだそうです。まさに神秘的。今は本当にいるのかどうかわからないくらい小さいですから。私が購入した蚕は,学校教材としてある教材会社から販売されているものです,この蚕には人工飼料がついてきます。桑の葉をすぐに手に入れられない私にとっては助かります。
2011/07/06
蚕がやって来ました。
蚕がついに我が家にやってきました。来年からの生物育成のために我が家で夏の自由研究の開始です。これまで様々な実践を見てきましたが,地元茨城の結城市というところでは蚕がつくった繭の真綿から糸を紡ぎ,結城紬という超有名な伝統工芸があります。つくば市でも数十年前までは当たり前のように蚕を飼っていたのですが,養蚕で生計を立てている農家はなくなっていまったようです。
蚕は,以前群馬のあの有名な富岡市の近くで技術科教師をされている先生に紹介いただいたことがあります。最初に見た時にはちょっとショックを受けましたが,小学校の頃アゲハの幼虫を指の上にのせて遊んでいたのを思い出し,飼ってみることになりまいた。
蚕の飼育,特に繁殖は,養蚕業にとっては生命線で,養蚕が盛んだった当時は,一般人にはできないものであったと聞きます。蚕に関する書籍を何冊か読みましたが(小学生向けのものがとっても読みやすい。当たり前か),牛や豚を飼育されている方が口蹄疫に厳格に対処されるのと同じく,蚕にも口蹄疫のような蚕特有の病気があり,その病気が蔓延すると,地域の養蚕が壊滅的な打撃を受けてしまうからと知りました。
なにより,蚕という虫が,太古の昔から人に飼われて品種改良され,人の手なしには生きていけない昆虫になっていると知り奥の深さを知りました。まだ卵ですが,動きだすのを楽しみにしています。
蚕は,以前群馬のあの有名な富岡市の近くで技術科教師をされている先生に紹介いただいたことがあります。最初に見た時にはちょっとショックを受けましたが,小学校の頃アゲハの幼虫を指の上にのせて遊んでいたのを思い出し,飼ってみることになりまいた。
蚕の飼育,特に繁殖は,養蚕業にとっては生命線で,養蚕が盛んだった当時は,一般人にはできないものであったと聞きます。蚕に関する書籍を何冊か読みましたが(小学生向けのものがとっても読みやすい。当たり前か),牛や豚を飼育されている方が口蹄疫に厳格に対処されるのと同じく,蚕にも口蹄疫のような蚕特有の病気があり,その病気が蔓延すると,地域の養蚕が壊滅的な打撃を受けてしまうからと知りました。
なにより,蚕という虫が,太古の昔から人に飼われて品種改良され,人の手なしには生きていけない昆虫になっていると知り奥の深さを知りました。まだ卵ですが,動きだすのを楽しみにしています。
2011/05/16
佐藤学の書籍を読み返しているうちに,「教師の自立的な連帯へ」という文章を再発見した。
佐藤学の書籍を読み返しているうちに,「教師の自立的な連帯へ」という文章を再発見した。(シリーズ学びと文化6 学び合う共同体 pp163-pp171)
「学び合い」や「学びの共同体」といって荒れた学校を建て直すための特効薬のように考えられている教師が多いように思うが,彼の発想の原点はそこにはない。この「教師の自立的な連帯へ」は佐藤学の「学び合い」がまだ広く語られていない頃(1996年)の文章だ。(岳陽中の実践は2001年から)
今「学び合い」は教師の自立的連帯とはかけ離れた使われ方をしていることが目立ってきていないだろうか。佐藤学はどう答えるのだろうか。教師自身が自ら学ぶことを忘れている。与えられた「学び合い」の考えをさらに発展させようとするならわかるのだが,何か定式にはめて教師を縛ることがもてはやされている。
「学び合い」という形を学ぼうとしている教師は多い,でもなぜ「学び合い」だったのかは忘れ去られようとしている。本当に必要なのは佐藤学の「学び合い」を乗り越えることなのではないか。教師の間に同僚性を築くこと,それは職員研修をするためではない,自立的な連帯を通して自分で考え学ぶ教師を育て,学校を改革することが本来の姿なのではないか。そう思えた。
2011/05/15
原発という技術のガバナンス
4月に中学校に入学したばかりの1年生に向けてガイダンスの授業を行った。技術とは何かを身近なものからアイディアを発見させる実習を行わせる中で考えさせた。授業の最後にいつの間にか原発の話をしていた。
「一般の人は技術を知らなくていいのだろうか?本当に専門家任せでいいのだろうか?」
と言い放った時の生徒たちの顔が忘れられない。
多くの生徒は,何がどのように危険で,そのリスクをどういった技術で回避し利用しているのかについても,原発事故の前にはほとんど関心がなかったに違いない。しかし,次々に放射性物質による汚染が広まり,身近でもわずかながら放射線量が増加いている現実を知って,事の重大さを実感している。
それに対して,大人の言動には信じられないものが多かった。
「福島に原発があるのを知らなかった。」
「原子力発電は環境にいいと思っていた。」
「こんなに広い範囲で影響が出るなんて知らなかった。」
そんな大人が有権者として,これまで国策として進められてきた原子力政策を後押ししてきた。
東京電力は福島と新潟に原発をつくり首都圏の電力の多くをまかなっていたことをCMしていたし,CO2を出さないといっても廃棄物や事故が起こった時に大きなリスクがあることぐらい知っているものと思っていた。私自身もこの数ヶ月で原子炉のことにはだいぶ詳しくなったけれども,その安全性に対して厳しい目を向けてこなかった大人には大きな責任がある。
「一般の人は技術を知らなくていいのだろうか?本当に専門家任せでいいのだろうか?」
と言い放った時の生徒たちの顔が忘れられない。
多くの生徒は,何がどのように危険で,そのリスクをどういった技術で回避し利用しているのかについても,原発事故の前にはほとんど関心がなかったに違いない。しかし,次々に放射性物質による汚染が広まり,身近でもわずかながら放射線量が増加いている現実を知って,事の重大さを実感している。
それに対して,大人の言動には信じられないものが多かった。
「福島に原発があるのを知らなかった。」
「原子力発電は環境にいいと思っていた。」
「こんなに広い範囲で影響が出るなんて知らなかった。」
そんな大人が有権者として,これまで国策として進められてきた原子力政策を後押ししてきた。
東京電力は福島と新潟に原発をつくり首都圏の電力の多くをまかなっていたことをCMしていたし,CO2を出さないといっても廃棄物や事故が起こった時に大きなリスクがあることぐらい知っているものと思っていた。私自身もこの数ヶ月で原子炉のことにはだいぶ詳しくなったけれども,その安全性に対して厳しい目を向けてこなかった大人には大きな責任がある。
2011/05/14
本当の技術(technology)の姿
中学校技術科では来年度(2012年度)から,栽培やエネルギー,コンピュータ制御など選択的内容であった学習内容が全て必修となる。多くの技術科教師が今まさに題材開発,授業づくりの試行錯誤の真っ最中だ。
少ない授業時間数でこれまでにない多岐にわたる内容を教えなければならない現実は,今にして思うと,「何のための技術教育か」と考えようとする教師のゆとりを奪い,結果的に「何のために技術を学ぶのか」を考える時間を生徒から奪っていたように思える。
2011年3月11日,東日本大震災は起こってしまった。厳しい耐震基準で建てられたこの国の多くの建物はマグニチュード9.0,最大震度7の地震に耐えた。しかし,巨大な津波は,防潮堤を壊し,鉄筋コンクリートの建物を飲み込み,多くの人命を奪い,破壊の限りを尽くした。
CO2を出さず地球環境に優しいはずの原子力発電所は,想定外の津波で破壊され,炉心溶融を起こし,大量の放射性物質をまき散らした。家に戻れない人たちが何万人もいる。放射線量が高い地域では,校庭での活動が制限され,農作物や水産物の汚染も深刻だ。
地震が起きて数日,断水が続く中,テレビやネットでとんでもない量の信じられない情報を一気に知った時,これが「技術」の本当の姿なのだと理解した。過去の地震で鍛え上げられた耐震基準。現代土木技術を軽々とねじふせた津波。どんな自然災害でも絶対安全と過信されてきた原発。
技術科教師17年目にこんなことを考えることになるなんて思いもしなかった。
「 あ~これが本当の技術(technology)の姿なんだ・・・ 」
今私たちが使うことのできる技術(technology)は,10万年前の石器以来,自然と対峙する中で数限りない先人の犠牲の上に獲得されたものだ。なぜ,今まで考えもしなかったのだろう。つい2ヶ月前まで自然は技術で御せるものであるかのうような錯覚をしていた。自然は文明を幾度となく滅ぼし,そのたびに新しい文明を築いてきたのが人間の歴史だ。戦争と技術については,様々な関連が語られてきたように思うが,自然と技術の関わりについて深く考えていなかった。
技術の発達を,今一度自然,天災との関係の中で考えてみたい。これまで気づかなかった視点がまだまだありそうだ。
少ない授業時間数でこれまでにない多岐にわたる内容を教えなければならない現実は,今にして思うと,「何のための技術教育か」と考えようとする教師のゆとりを奪い,結果的に「何のために技術を学ぶのか」を考える時間を生徒から奪っていたように思える。
2011年3月11日,東日本大震災は起こってしまった。厳しい耐震基準で建てられたこの国の多くの建物はマグニチュード9.0,最大震度7の地震に耐えた。しかし,巨大な津波は,防潮堤を壊し,鉄筋コンクリートの建物を飲み込み,多くの人命を奪い,破壊の限りを尽くした。
CO2を出さず地球環境に優しいはずの原子力発電所は,想定外の津波で破壊され,炉心溶融を起こし,大量の放射性物質をまき散らした。家に戻れない人たちが何万人もいる。放射線量が高い地域では,校庭での活動が制限され,農作物や水産物の汚染も深刻だ。
地震が起きて数日,断水が続く中,テレビやネットでとんでもない量の信じられない情報を一気に知った時,これが「技術」の本当の姿なのだと理解した。過去の地震で鍛え上げられた耐震基準。現代土木技術を軽々とねじふせた津波。どんな自然災害でも絶対安全と過信されてきた原発。
技術科教師17年目にこんなことを考えることになるなんて思いもしなかった。
「 あ~これが本当の技術(technology)の姿なんだ・・・ 」
今私たちが使うことのできる技術(technology)は,10万年前の石器以来,自然と対峙する中で数限りない先人の犠牲の上に獲得されたものだ。なぜ,今まで考えもしなかったのだろう。つい2ヶ月前まで自然は技術で御せるものであるかのうような錯覚をしていた。自然は文明を幾度となく滅ぼし,そのたびに新しい文明を築いてきたのが人間の歴史だ。戦争と技術については,様々な関連が語られてきたように思うが,自然と技術の関わりについて深く考えていなかった。
技術の発達を,今一度自然,天災との関係の中で考えてみたい。これまで気づかなかった視点がまだまだありそうだ。
2011/05/08
ようやくディスプレイに投資

ようやくディスプレイに投資して,まともな作業環境を手にいれました。昨日まで自宅でサブディスプレイとして使っていたVAIOーRのディスプレイは大きいわりに解像度が低く,なかなか使い勝手が悪かったのですが,1万7千円でフルHDの液晶ディスプレイを購入,ようやくまともな作業環境になりました。VAIOーRのディスプレイは,私が毎晩酷使したにもかかわらず6年という長寿命,なかなか立派でした。最後はスイッチが入る時と入らない時が交互におとずれ,最後は電源が入らなくなっての交換です。修理するよりも購入した方が安いのは悲しい現実ですね。
この数時間,いろいろ仕事がはかどります。作業環境は大事ですね。
さーて,これでバリバリ仕事をするぞ!
2011/04/18
原発という技術
M9.0の地震が起こった時から,福島の原発のことが気がかりで仕方なかった。地震で電気が落ち,地震の揺れが続く中,数秒後に学校の電源は復旧した。しかし帰宅してみると自宅のある地区は停電だった。乾電池式のラジオから流れる情報はどれも耳を疑うものばかり,一体何が起こっているのか報道機関でさえつかめていなかった。翌日電源が復旧し,テレビ,twitter,webでとんでもない量の信じられない情報を一気に知ることになる。前日までの平和で穏やかだった日本が幻に思えた。
東京電力は,福島と新潟に原発をつくり,発電された電気は昇圧され超高圧送電線で首都圏へ送られてきた。火力発電のように発電力量を柔軟にコントロールできない原子力発電は,電力消費量が変動しても変わらないベースとなる発電を担う発電所だ。
震災前の東京電力のCM(youtube)
今,このCMを信じられる人はもういない。
東京電力は,福島と新潟に原発をつくり,発電された電気は昇圧され超高圧送電線で首都圏へ送られてきた。火力発電のように発電力量を柔軟にコントロールできない原子力発電は,電力消費量が変動しても変わらないベースとなる発電を担う発電所だ。
震災前の東京電力のCM(youtube)
今,このCMを信じられる人はもういない。
2011/03/26
震災を機に
マグニチュード9.0,つくば市は震度6。そのとき自分は学活の授業をしていた。あの時,誰もが感じたことかもしれないが,建物が壊れ下敷きになることを覚悟した。電気が一瞬止まった。数秒後おそらくバックアップの送電系統が立ち上がり,電源が復旧した。5分間ほど続いた揺れのなか冷静の分析しようと考えた。(電源が復旧したということは,原発が止まって,別の系統からの電気が送られてきたということか・・・福島の原発は無事に止まったのか?)揺れの中,生徒達に呼びかけた。「電源が復旧したということは大丈夫だ。」
初期微動がやたらに長かった。遠い震源ということ,なのに,ゆれは半端ではない,どれだけの規模の地震なんだ・・・。生徒達と共に校庭に避難,校庭の真ん中に避難している間にも大きな余震が繰り返された。宮城県沖が動き,茨城県沖までのプレートが一気に動いたと聞かされた。予測されていた東南海地震と同じメカニズムが,東北で現実のものになってしまったことがわかった。生徒達を怪我もなく帰すことができたことにホッとしたが,東北のことを考えると胸が痛かった。
小学生4年生の時に両親と東北地方を旅したことがある。宮城県の牡鹿半島よりも北は岩手県まで全てリアス式海岸,田老の港を見下ろす宿に宿泊した。山肌にはこれまでに田老を襲った津波の高さが白いペンキでマーキングされていた。明治時代に被災した時の白黒写真が残されていた。街のど真ん中に船がとりのこされ,建物が何も残ってない写真を当時の私は何の実感もなく見ていた。それが平成のこの時代に繰り返されてしまった。
この震災以来,たまにしか使っていなかったSNSを本気で使い始めるようになった。twitterだけでなくfacebookなどでのつながりが人々の考えをつなぎあわせ世の中を動かそうとしている。テレビをずっと付けているよりも,twitterで新聞社発の情報をチェックしていた方がいつでも情報にアクセスできるのには正直驚いた。確かにデマも多い,しかし,10年前や20年前には決して得ることができなかった情報に当たり前のように誰もが接することができる。これまで不可能だった情報共有が,今回の震災復興に果たす役割はとてつもなく大きいはずだ。電子的なコミュニティは,決してバーチャルなものではない,現実の社会とリンクしていることに,多くの日本人が気づいたのではないだろうか。
福島第一原発の行方を,自分はしっかりと見ていきたい。起こりうる事態をひとり一人が予測し判断することが求められている。自分が発信者にならなければ,判断する人間にはなれない。今の日本,震災後の日本を生きる一人として,自分の持ち場で自分にできることに全力で取り組むことが,新しい日本を創り上げていくと信じてる。震災を契機に,個々ばらばらだった日本人が,この国の将来を考えはじめている。技術教育の立場からこの国のこれからにコミットしていきたい。
初期微動がやたらに長かった。遠い震源ということ,なのに,ゆれは半端ではない,どれだけの規模の地震なんだ・・・。生徒達と共に校庭に避難,校庭の真ん中に避難している間にも大きな余震が繰り返された。宮城県沖が動き,茨城県沖までのプレートが一気に動いたと聞かされた。予測されていた東南海地震と同じメカニズムが,東北で現実のものになってしまったことがわかった。生徒達を怪我もなく帰すことができたことにホッとしたが,東北のことを考えると胸が痛かった。
小学生4年生の時に両親と東北地方を旅したことがある。宮城県の牡鹿半島よりも北は岩手県まで全てリアス式海岸,田老の港を見下ろす宿に宿泊した。山肌にはこれまでに田老を襲った津波の高さが白いペンキでマーキングされていた。明治時代に被災した時の白黒写真が残されていた。街のど真ん中に船がとりのこされ,建物が何も残ってない写真を当時の私は何の実感もなく見ていた。それが平成のこの時代に繰り返されてしまった。
この震災以来,たまにしか使っていなかったSNSを本気で使い始めるようになった。twitterだけでなくfacebookなどでのつながりが人々の考えをつなぎあわせ世の中を動かそうとしている。テレビをずっと付けているよりも,twitterで新聞社発の情報をチェックしていた方がいつでも情報にアクセスできるのには正直驚いた。確かにデマも多い,しかし,10年前や20年前には決して得ることができなかった情報に当たり前のように誰もが接することができる。これまで不可能だった情報共有が,今回の震災復興に果たす役割はとてつもなく大きいはずだ。電子的なコミュニティは,決してバーチャルなものではない,現実の社会とリンクしていることに,多くの日本人が気づいたのではないだろうか。
福島第一原発の行方を,自分はしっかりと見ていきたい。起こりうる事態をひとり一人が予測し判断することが求められている。自分が発信者にならなければ,判断する人間にはなれない。今の日本,震災後の日本を生きる一人として,自分の持ち場で自分にできることに全力で取り組むことが,新しい日本を創り上げていくと信じてる。震災を契機に,個々ばらばらだった日本人が,この国の将来を考えはじめている。技術教育の立場からこの国のこれからにコミットしていきたい。
2010/10/11
Google Sketchup を利用した授業の可能性を探る
自分が原作者である立体グリグリの授業をさらに改良すべく最近力を入れています。その中で,CAD/CAMまでを扱うことができるようになったのですが,以前から気になっていたGoogle Sketchupを自宅の子ども部屋の改装をネタに使ってみました。これまでもJW_CADなどの2DのCADはまあまあ使ってきたのですが,3DのCAD(本当はCADではないようだが)を使ったのはお試し版をいくつか試して依頼です。それらに比べてもなかなか完成度が高いソフトで驚きました。数値でぴたっと作れるようにしてくれると本物のCADとしてもつかえるでしょうね。しかもこのソフト,製品版ではなくフリー版ならば学校で使うことは問題ないと自身のページで公言しています。http://sketchup.google.com/support/bin/answer.py?hl=jp&answer=47494
使いこなすには,立体的な感覚だけでなくマウスの操作にもたけていないと厳しいとは思いますが,生徒の目の前でどんどんモデリングするのはおもしろいかもしれませんよ。
2010/09/06
ウォークマンの省電力設計と工夫素晴らしい!

これは私の予想でしかありませんが,おそらくこのウォークマンのためにバッテリーが開発されているように思います。あまりにも見事です。音楽プレイヤーを構成している電子回路もとことんカスタムチップ化して,消費電力をとことん押さえ込んだ上に,ソフトウェア的な省電力化も徹底して行っているんでしょうね。
ただの音楽プレイヤーなのですけど,昔これだけのことをするのにカセットをいくつも持ち歩き,しかも音は悪かったことを思い出し,今の若者のみなさんには信じられないだろうけど,アナログ時代のあのウォークマンでさえ感動したのに,技術革新のすばらしさに感動の連続でした。
このイヤフォンの工夫もすごい,インナータイプのイヤホンなのかとおもいきやそうではなくて,口径の大きなドライバーユニット(スピーカーです)の一部をインナーのように耳に導いています。これまで口径の小さなもので全域の音を再生しようと無理をしてきたものをゆとりをもって音質よくクリアする工夫とのことでした。試しに,2年前に買った同じくソニー製のインナータイプのイヤフォンと比べるとその差は歴然,こちらの方がはるかに安価なはずなのに,音のゆとりが全く別ものです。自分が子どもの頃に初代ウォークマンが開放型のヘッドフォンが実用化と同時期にデビューしたのを思い出しました。音を聞くための工夫は留まることを知りませんね。
何度もiPodを買おうと思って買わずに,結局かわないことになりそうです。アップルの機械にはデザイナーの強い意志を感じますけど,ソニーの製品にはエンジニア魂を感じます。
ウォークマンの歴史をまとめてみるだけでもかなりおもしろい現代技術史ができるんじゃないかな~と思いはじめています。おそらくそこにはいくつもの特許がからんでいるでしょう。その歴史はおそらく子ども達にとっても身近です。携帯でも同じことはできるでしょうけど,あまりにも多機能なので,携帯音楽プレイヤーというくくりでまとめてみるのも悪くないように感じています。どうでしょう私の提案。
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