このブログ「技術科ノート」を。長らくお世話になったこのBLOGERのシステムに代えて,本日からfacebookのページと呼ばれる機能を使ったページに移行させることにしました。リンク等を張られている方がおられましたら,以後は下記URLになりますので,変更等宜しくお願いします。
移動の理由も最初の投稿で書いてあります。以下のURLへお願いします。
https://www.facebook.com/gijyutu
2012/12/28
2012/12/19
コースターづくりでCAD/CAMに夢中!
簡易CAD/CAM実習で,コースターを作る。加工機(グリロボ)は3台,同時に使える生徒は3人,授業は36人,時間にゆとりがある生徒にレポートを書かせる対策はしたが,正直彼らの関心を引きつけ続けることができるのか不安だった。しかし,今日の授業でその不安は消えてなくなった。
自分のPCでデータをつくってネットワーク上に保存,加工機につながれたPCでデータを読み込み加工し,また自分の席に戻っては加工する生徒達。たいしたものは作れないとあきらめていた指導者の私,しかし生徒は失敗を繰り返しながら,次々に技術的課題を乗り越えていく。失敗してやりなおし,修正してまた挑戦。この感覚・・・そうこれはロボコンの感覚だ。何度も作り直して納得がいくまで高めていくから,出来なかったことが出来るようになっていってしまう。不思議な感覚だ。
単純な形が精一杯だろうと指導者の私は勝手に思っていた。そんなことはなかった。技術的な課題があればあるほど,何回かの失敗を繰り返して,彼らは加工技術を身に付けていった。出来上がった作品だけを見て,美術的とか批判される方に言いたい。彼らは加工機(グリロボ)が発砲スチロールを熱で溶断加工する特性を理解して,細部の再現性の限界を追求している。彼らの作り上げたデータは,何百個でも量産できる。ただ一つのモノを作り込む工芸的な世界とは対局にあるものづくりの世界だ。
彼らに課した課題は,「2つの色のスチロール版を組み合わせてコースターをつくれ!」ただそれだけ,最初にあったのは私の作った見本数種類さすがに厳しかった。しかし,もう既に40作品程度が完成するに至って,授業に望む生徒の姿が変わってきた。彼らの目標は同級生を超えること。互いに切磋琢磨しはじめた。
かつて,オートマ君を使って模型の車を自動化するプログラムを試行錯誤してつくりあげさせたことがあった。似ているが,大きく違うことがある。作り上げられたデータを使えばいくつでも同様のものをつくることができてしまう。
世の中にあふれる様々な工業製品を見て,機械で作ったからみな同じと考えがちだ,しかし,こうして身分で量産部品の試作を経験してみると,その機械を使いこなすためには,その加工機の特性を十分に理解しなければならない。ヒーターで溶断しているから,加工精度は気温にも左右される。大量生産だとしても,一定程度の精度を実現するためには温度管理も大切な要素であることがよくわかる。
2012/12/04
人と土地の不可分な関係
第26回日本民教連交流研究集会にレポーターの1人として参加。午前中の講演は,第五福竜丸展示館の安田さんだった。ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で被爆した第五福竜丸,原爆症を発症した乗組員,次々にみつかった汚染されたマグロ,私の事前の知識はその程度,大学時代の恩師が,第五福竜丸展示館に行くべきだと語られていたことが気になっていた。安田さんは,事実を今でも調べ続けている。講演では,第五福竜丸とその後の日本での問題というよりも,マーシャル諸島の島々に住む人達について語られた。福島の事故があってはじめて自分達の問題として考えられるようになった自分が恥ずかしい。
アメリカがなぜ,水爆実験にマーシャル諸島を選んだのか。島の自然と共に暮らしてきた人々の暮らしをどう破壊してしまったのか,移住させられたことで何が変わり,なぜ危険だとわかっているのにそのまま暮らすことになっているのか。アメリカにどんな意図があったのか。一つ一つが全て調べ上げられた事実を元に語られた。すごかった。安田さんが語られたのはマーシャルの現代史だった。
かわいそうだとか,援助するとかそういうことじゃない。マーシャル諸島の人達にとって,生活と島々が不可分の関係であったように,我々の生活もまた,この土地と不可分な関係にある。そこには自然があり,自然の元に育まれた文化がある。何も変わらない,明日自分達が同じ立場になったとしても何の不思議もないし,マーシャル諸島の人達がそうであったように,苦しみ子ども達の未来を考え悩み続けるに違いない。
3月11日は私たちにとって特別な日になってしまった。わずか数日で福島第一原発は次々にメルトダウンとした。あの時真剣に悩んだことを忘れてはいけない。家族を西日本に避難させるべきかもしれないと親類と連絡をとりあい。近所には大阪方面に避難した人が大勢いた。避難してきた人もあふれていた。SNSでは東日本にはもう住めないかもしれないとのつぶやきがあふれ,教員の私はこの土地に最後まで残ることを覚悟した。そして,その状況は福島で未だに続いている。
何も特別なことなんかじゃない,私たちはこの土地で生きている。この土地の自然の中で暮らしている。人間と自然との関係,この土地の風土が育む文化,社会,技術。どんなに文明が進んでもその関係は変わらない。
2012/11/04
Standing on the shoulders of giants
先日NHKのコズミックフロントというBSで放映されている科学番組(「宇宙(そら)を泳ぎ 星を歩く ~宇宙服開発物語~」)で宇宙服の開発が紹介されていて,その中で一人のNASAの職員がいっていた。「NASAでは,『我々は巨人の肩の上に立っている』といいます。」
アポロ計画の試行錯誤の中で生み出された宇宙服,伸縮性のあるゴムを採用するアイディアにはじまり,ワイヤーで手の動き拘束して,スムーズな動きを実現する工夫や,腕や手首などの関節部分にベアリングを採用するアイディアなど,宇宙服に採用されているアイディアは実に多種多様。
今現在火星探査などをめざして開発が進められている宇宙服も,様々なトライを繰り返しながら着実に技術が積み上げられている。その現場に立つ第一線のNASAの女性研究者がいうのだ『我々は巨人の肩の上に立っている』と。彼女は続ける,色々試行錯誤をしてみるのだが,結局アポロ時代の技術を採用していることがよくあるというのだ。それだけあの時代もう40年も前の技術を乗り越えることは難しいということだろうか。
今ネットで調べてみたら,ニュートンもこの言葉を使っていたらしい。ニュートンは彼自身の偉業について意見を求められたときにこう答えた。
「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」
iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授は,NHK特集(NHKスペシャル「ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞“革命”」)の中でこういっていた。
「研究は何百年も続く長い長い駅伝・リレー,私たちはタスキをつなぐ役割」
そして,このブログでも紹介したジョブズの伝記の最後に書かれていた言葉を思い出してみる。
「先人が遺してくれたものが使えることに感謝を表したい。」
みな同じことを言っている。
最先端を走る技術者,科学者が同じことを言っている。
この意味を考えたい。
2012/09/18
9月はじめからスプラウト(カイワレダイコン)の栽培テストをはじめました。もちろん,本格的な圃場があればよいのでしょうが,本校の在籍生徒数と学校の敷地等を考えると,極めて難しいものがあります。そこで,今年はスプラウトの栽培に挑戦してみることにしました。
スプラウトは生徒が普段生活する場所で栽培が可能であるだけでなく,収穫まで約10日と極めて短時間で収穫までを体験させられるので,栽培条件などを変えながら,様々な方法を試すことができるのがよいところでしょうか。
何冊か,本を読んだりサイト上の情報を読んでみると,栽培の方法にもいろいろなパターンがあります。様々な栽培技術が試されているということでしょうか。本来土の中で発芽する条件をつくってあげる必要があります。今回は,400円で市販されていた専用の栽培容器と,生徒にやらせようと考えている使い捨てのプラ容器+ティッシュペーパーで栽培してみました。
当然最初の4日ぐらいは土の中なので真っ暗にしておく必要があります。段ボールを使いました。
発芽には適度な湿度が必要です。その湿度はティッシュと種子を霧吹きで毎朝毎晩ぬらすという方法をとりました。これも諸説あって,ただ水につけておけみたいな解説もあったりします。さてどれが本当によいのやら。
何しろ栽培テストをはじめたのが,9月9日,21時現在で気温は28度,湿度は72%もありました。20度前後が発芽の条件と種の袋には書かれており,ちょっとまだ早いのかなと思いながら霧吹きで毎朝毎晩水をあげていきました。最初に入れておいたgif動画は,その毎朝毎晩8日分の成長の記録です。
本によっては,食べる数日前に日光にあてて,葉を緑化されるとあり。別の本には,4日間遮光して以後は直接日が当たらないある程度明るい所で育てるのがよいとあります。ちなみに私の部屋の窓にはマンションなので直射日光があたりません。常にあわい間接光で育てました。しかしなかなかいいかんじです。上の写真の右が市販の栽培容器の8日目,真ん中が使い捨てプラスチック容器の同じく8日目,左が使い捨てプラスチック容器の4日目です。
さすがは市販容器,スプラウトの勢いが全く別物でした。栽培条件によってこうも違うのですね。
市販の栽培容器を横からみてみると,きれいに根が伸びています。試しに一本とって長さをみてみると,14cmぐらいの芽と,10cm近くある根になっていました。まだ確認していませんが,使い捨て容器の場合,おそらく根がここまで長くなっていないでしょうね。なにより,根が伸びる場所がありません。栽培容器をいろいろ改造してみるのも面白いかもしれません。
さらに,栽培を続けていくと6日目ぐらいから,市販の栽培容器ではスプラウトが収まりきらなくなって横にのびていきました。仕方がないので,8日目の今日,周囲の芽を切ってサラダにして食してみました。切ったスプラウトを水洗いするだけです。当然ですが,カイワレダイコンの味がします。しかも,市販のものよりしょっぱい,味は栽培条件によってどれくらい左右されるものなのでしょうね。比較してもおもしろかもしれません。
そういえば,カイワレダイコンは,スーパーで売られている時細長い容器に入っていますね。あれってあの容器でそのまま栽培しているのでしょうか? 調べてみると面白そうです。今の予想では,もっと細長い透明な容器で栽培すれば,スプラウトもまっすぐになるのでは?なんて考えています。そう思ったら試行錯誤がいろいろできるのが,このスプラウトのよいところですね。10日間の栽培実習を何回か繰り返して栽培条件の違いを体感させてみたいと思います。
明日からは,学校でも栽培テスト開始予定です。生徒の皆さんに負けないようにしなければ!
2012/07/18
★この数年,大学の先生や現場の先生方,教材を開発していただいたエンジニアの方達と進めてきたプロジェクトが論文として形になった。
日本産業技術教育学会の学会誌,第54巻2号に掲載された「消費電力量を可視化するロボット競技用消費電力計測教材の開発と評価」だ。この消費電力量リミッターは,このブログでも既に紹介してきたものだ。
・原発事故,技術教育に今できること
・消費電力のイメージ
たしか3年前に東大で開かれた日本教育工学会で,プログラム学習のためのロボットカーの電力量を制御するアイディアを学会発表を聞いたことに刺激を受けて,手動制御のロボコンに持ち込めないかと教材の仕様を私が提案したのが,全ての始まりだった。工学的な素養は全くない私だが,チームでプロジェクトを進めていくとここまで大きな成果が出るのかと思い,そのチームの一員となれたことを誇りに思う。
福島第一原発の事故を受けて,世の中が自然エネルギーを見直しはじめた今,でもその技術を評価する指標を多くの人達がもっていないことに気付く。1kWhっていわれたって,どの程度のものだかわからない。電力量を計測して,機械や作業の効率や損失を実感をもって体得させたい。できる限り様々な操作や試行錯誤を通して体得させたい。自分で書くことではないかもしれないが,消費電力量リミッターとその実践は,これからのエネルギー変換の授業に一つの新しい方向性を示している。
★もう一つ,写真の手前の冊子は,今日いまさきほど開隆堂から届いた技術・家庭学習指導書指導事例編(技術分野)だ。こちらには,立体グリグリとグリロボの実践をここに書かせていただいた。「私たちの生活を支えるコンピュータを用いた設計と生産 ~『立体グリグリ』と『グリロボ』によるCAD/CAM実習~ 」だ。
これまでも様々な原稿を書き,ネット上のフリーソフトとして公開してきた『立体グリグリ』だが,これを簡易CADと位置付け,『立体グリグリ』で作成したデータで加工を行う簡易CAMが『グリロボ』だ。こちらも,このBLOGでも既に紹介している。
・グリロボで簡易CAD/CAM体験を実現
・3次元ディジタル作品の設計・制作
・立体グリグリV3.4リリース 作り手の立場から著作権を学ぶ
そして,『立体グリグリ』と『グリロボ』も何人もの大学の先生方と,多くの現場の先生方と生産現場のエンジニアの方を巻き込んだプロジェクトから生み出された教材だ。中学校現場にCAD/CAMを持ち込むという発想は国内ではあまり聞こえてこない。難しいと思われているのかもしれない。しかし,この実践を通して,多くの生徒達が私に教えてくれた。「現代社会では,自分達の生活を支える一番身近なものの多くが,CAD/CAMやCAMのような高度な技術によって支えられている。(開隆堂指導書指導事例編(技術分野)P161から引用)」
この気付きは,私にとってはとても大きなものだった。難しいから扱わないではない,重要だから扱うのだ。現代を支える基幹技術を技術科の授業で扱わなくてどうするというのだ。
2012/05/12
コードから開放されたプログラム言語【App Inventor】
正直ビックリした。これがプログラムだというのだ。プログラムといえば,英語のような数式のような呪文を長々と書いて,それをコンパイラでコーディングしたり,インタプリタで翻訳しながら実行するというのが私のこれまでの常識だった。ボタンを押したとき,音を鳴らすプログラムが1分とかからずに書けてしまった。
App Inventor は,googleの実験的な取り組みの中で生まれたプログラム言語だ。こうしたグラフィカルなプログラムを書いて,アンドロイド端末上で動かすことができる。大学時代N88-BASICやQuick-BASIC使いだった(歳がばれますね。)私からすると,就職後にVisual-BASICやVBAにさえ四苦八苦していたことを思い,コードのないプログラム言語には驚かされるばかりだ。
開発に使うのはWebアプリ+編集用のJAVAプログラムのみ,同じくJAVAで動くエミュレーターを動かせば,アンドロイド端末がなくとも簡単にプログラムの動作をテストできる。自分はさきほどQRコードを生成して作成したこの超簡単なプログラムを自分の携帯電話(アンドロイド端末)にインストールしてみた。何の問題もなく,他のアプリと同じように動いてしまった。それなりの設定をすれば,これでアプリを公開もでき,Playストアで販売することすら可能だ。
これは誰でもプログラミングできる時代の幕開けかもしれない。
まだBETAであることや,最近になってgoogleからMITメディアラボに移管されたことなどもあって本格的に使うにはまだ問題も多いだろうが,アンドロイド端末で使うような個人的なプログラムはこれで十分だろう。アンドロイド端末がもっているGPSの機能や加速度センサーのの値を読み込ませ記録させることもできるだろうし,ロボットに搭載して写真をとらせることも可能だろう。レゴマインドストームのための専用のコンポーネントも多数用意されている。
★もっと知りたい方は,ぜひこちらを参照されたい。
2012/05/06
つくばスタイル【筑波実験植物園】
今日は初めて筑波実験植物園という施設に行ってきた。筑波大学の隣,天久保にあるこの植物園である。植物を見るために大人300円も払うという気になかなかなれなくて,近隣に住みながら行くのは初めてだった。
結論から書くと,素晴らしい。様々な植物がきちっと管理されて栽培されている。今日はGW最終日なのに,どこにも行列がない,すれ違う人もまばら,パラソル付きの弁当を食べるベンチまで用意されている。温室は6種類の気候にあわせて管理され様々な植物に出会える。しかも,解説が丁寧で子ども連れにはうれしい。オジギソウに触って驚き,様々なにおいの植物を楽しみ,熱帯から乾燥地帯まで,様々な植物を一気に見ることができる。屋外には,まるで軽井沢や日光にでもあるような落葉樹の森が拡がり,歩道が整備され森林浴が楽しめる。敷地が14ヘクタールあるというから当然なのかもしれないが,この規模でこれだけ管理が行き届きしかも,商業施設としてではなくて教育施設として運営されているのがいい。最初は植物園なんて・・・といっていた幼稚園児達も半日植物園を満喫し,帰る時には笑顔だ。わずか3つのスタンプラリーも適切な設定でよく考えられている。担当者の工夫を感じさせられた。
水辺に咲く花を,マクロレンズで撮影している同年代のお父さんを見て,自分も毎月のように来て四季を撮ってみたいと強く思った(営業目的の撮影は禁止されている)。相変わらずまともなカメラを持ち歩いていない自分は,今日もスマホのカメラで写真をとってしまっている。確か自分は写真研究部出身なんだよな・・・と思い。次は大きく引き伸ばせる機材をもってぜひ訪れたい。
筑波実験植物園は,上野にある国立科学博物館の別館である。そして,最近上野の科学博物館に展示されていた動物標本の多くが,運びこまれたらしい。実際免震構造の8階建ての真新しい建物が既に立てられ,入り口からはいくつかの標本や化石が見えた。早くオープンしてほしい。上野までいかなければ見ることもできなかった展示物が,ここでまもなく公開されようとしている。
2012/04/29
フィルムカメラさようなら
我が家には,就職した頃,今から18年前から防湿庫がある。もう10年以上使われることなく保管されてきたフィルムカメラとレンズを,今日久しぶりに外に出してみた。そんな立派な機材ではないのだけれど,大学時代に写真研究部に属し,それなりに撮影していた頃に買った中判カメラのブロニカSQ-Aと標準レンズ(PS80mm),画質のよいスナップを撮りたくて手に入れたコンタックスT2の2台は私の大学生時代の愛機だった。
中判のブロニカSQ-Aには,露出計がついていない。といってもなんのことか分からない人が多いと思う。このカメラは,絞りとシャータースピードを手で合わせてシャッターを切るカメラだ。シャッターを押しただけでは,全くまともな写真は撮れない。画面サイズも6×6というスクエアー縦位置,横位置がない,しかもファインダーには被写体が左右逆さまに写る。それをルーペで見ながらピントをあわせ,被写体の近くに置いた露出計で露出を測り,フィルムに当てる光の量を計算しシャッタースピードと,絞りを決める。絞りによって被写界深度が変わることまで頭で計算した上で,バシャッとシャッターを切る。120のロールフィルム1本で撮影可能なのは,わずか12枚。その限られた枚数の中で徹底してこだわって撮影する。普通は重たい三脚を使うのが一般的で,手持ちで撮影することは厳しいカメラだが,自分はよく撮影旅行にもち歩いた。
フィルムカメラというものは,今では信じられないかもしれないが,現像して写真としてプリントしてみるまでどんな写真がとれたか分からない。撮った瞬間の感覚を信じて,フィルムをダークバックの中で両溝式の現像タンクに移し替え,温度管理された現像液を入れ,一定時間おきに攪拌(かくはん)し,決められた時間で液を抜き,素早く酢酸液で中和する。次に定着液で画像を定着させ,界面活性剤をつけた上でフィルムを部屋につるして乾燥させた後,自分で5コマづつ切ってネガケースに入れていく。
しかし,この時点では,まだネガ(白黒反転状態)だから,今ひとつどんな写真になるのかわからない。写真研時代は,コストが安かった白黒写真を撮ることが多かった。暗室の赤い光の中で印画紙の上にネガを置いて,上からガラスで押しつけ,引き伸ばし機の光を所定の時間照射して白黒反転させたコンタクトプリントをまず作った。
そのコンタクトプリントを見ながら,引き延ばすコマを決め,ルーペでピントや露出の具合を確かめた上で,印画紙に写真を焼き付ける作業にようやく入る。引き伸ばし機に引き伸ばすコマのネガをセットし,本番用の印画紙の代わりに同じ厚さの紙を置き,その上でルーペを見ながら引き伸ばし機のピントをあわせる。カメラのレンズと同様に,引き伸ばし機のレンズの性能も重要だ。暗室はどうしても現像液などがあって湿度が高い,乾燥剤とともに湿気を遮断するケースに入れて引き伸ばし機のレンズを管理することは写真研にとって大切なことだった。引き伸ばす大きさによって,当然光の強さが変わってくる。引き伸ばし機のレンズにも絞りがついていて,どのような味のプリントにするかを考えて値を選択する。何秒光を当てるのかについては,タイマーをセットしてその時間で自動的に切れるものを使っていた。
まだまだ終わらない,光を当てた印画紙を,現像液が入って温度管理がされたバットに素早く写し,写真の隅を竹のへらでつかみながらたまに動かし均一に現像が進行するようにし,所定の時間で素早くひきあげ,酢酸液の入ったバットにうつし中和して反応を止める。最後に定着液に放り込み長いことかけて像を定着させた後,水洗機に移し1時間程度流水にあて薬剤を流し落とす。
露出を決め,シャッターを切ってから暗室で画像が浮かび上がるまで,写真の像を見ることはできない。しかも,暗室を出てからピンぼけに気付いたり,露出オーバーやアンダーの写真に仕上がっていることもある。それでも,一連の流れを体で覚えていくと,一つ一つの作業を踏まえた上で撮影するということが可能になってくる。今なら,撮ったその場で液晶で確認することが,あの時代には全くできなかった。しかし,だからこそ作画には集中できていたように思う。今の時代は何でも便利に自動でできてしまうから,一つ一つの要素が写真にどう影響してくるかを考える必要がなくなってしまっている。
今でも,フィルム写真を使う写真愛好家は多い。デジカメには不確定要素が少なすぎるのかもしれない。デジタル処理できなかったあの時代,様々な不確定要素が作品を生み出す中に介在していた。それが,私の大学時代の写真のおもしろさだったように思う。
その後,就職してすぐEOS5(EOS5はフィルムカメラです。5Dではありません。)と何本かのレンズを買った。お金もなかったから,EOS5は中古,レンズも安物ばかり,安物のレンズの写りは期待したほどよくなく,高倍率ズームレンズの周辺部の収差がひどかった。シャープさも大学時代に単焦点ばかり使っていた自分には,許せないレベルのものばかり。そして仕事に追われて写真現像をする余裕もなくなり,カラーフィルムで撮影すると,必要以上に高額な現像代&プリント代が財布を直撃。いつしか写真を撮らない毎日が続くようになり,私のフィルムカメラ達は,防湿庫で10年以上格納されたままになっていた。
現在のマイカメラはこのデジカメだ。長男が生まれる時に撮影用にと奥さんを無理矢理説得して買ったEOS30DとEF24-105mmF4.0L。今時のEOSはもっといいのだろうけど,ボディーはそこそこ,でもレンズは性能のよいものをという選択は正解だった。大きくて重たいけど高倍率ズームながらレンズの収差が徹底的に押さえ込まれ,シャープな写真の仕上がりは全く別物。写真研究部で培った感覚が今でもこのカメラを使うとよみがえる。かつて単焦点レンズで撮影してきた経験が被写体までの距離でズームするのではなくて,最適な画角で撮影する撮影位置を自分に教えてくれる。露出計を使うことも今ではほとんどなくなってしまいカメラの評価測光に頼ることが多くなったが,いざという時,必要に応じてマニュアルを使いこなせるのが,フィルムカメラで鍛えられた私の財産だ。
フィルムカメラは全て明日売り払う予定だ。私の手元を離れてふさわしい人の手にわたってほしい。これからは作画にこだわれるデジカメ撮影環境を整備して,このブログにもそこそこの写真を掲載できるようにしたい。
2012/04/25
3次元ディジタル作品の設計・制作
今回の「3次元ディジタル作品の設計・制作」は,これまでの2冊とは発想がだいぶ異なる。
先の2冊が,今回平成24年度から完全実施されるD情報に関する技術の内容を10年以上前から先取りして追求してきたものであるのに対して。今回のこのテキストは,コンピュータ学習から技術教育の核心を突くことを目指している。
技教研は,発足当時から製図学習を重視しており,長年製図テキストを中心に製図教育の実践を続けてきた。その根幹には,空間的に考える力を身に付けた生徒に設計の醍醐味を実感させ,その上に製作の授業を行うことが,技術教育の基本的なスタイルであるとの信念がある。
製図学習は,もうだいぶ前に製図領域の消滅とともに加工学習と一体化されてしまい,時間数の削減にともなって現場の技術科教師には,製図は最小限でよいといった認識が生まれてしまっている。しかし,最近文科省が「言語活動の充実」と唱えるようになって,製図学習で育まれる空間的に考える力,図に表す力が,技術教育で生徒が空間的に考え,アイディアを表現するために欠かせない能力であることは説明しやすくなった。
自分は,ロボコンのJr特許実践で図を駆使してアイディアを説明させる中で「アイディアの連鎖」に気付き,材料と加工の学習の中で,先輩の作品からアイディアをみつけ図で表し,自分なりの設計をえがき製作する「知的財産の学習サイクル」を用いた授業を実践してきた。現実の技術科の授業で,特にコンピュータを用いた学習の中で生徒に空間的に考える力を身に付けさせ,アイディアを実現させる技術教育を実現させることは,茨城に技術科教師としてに赴任して以来の課題である。
- P3 はじめに
- P4 立体をグリグリ動かそう
- P6 等角図から立体を考えよう
- P7 第三角法から立体を考えよう
- P8 ★深めよう! 設計はコンピュータで【CAD】
- P10 オリジナル立体の構想を立てよう
- P11 オリジナル立体を制作しよう
- P12 作り手の立場から著作権を考えよう
- P14 ★深めよう! 社会を発展させる【知的財産】
- P16 立体グリグリのデータでグリロボを動かそう
- P18 ★深めよう! グリロボのモーター【ステッピングモーター】
- P20 グリロボの型に金属を流し込んで鋳造しよう
- P22 生産技術の世界
- P24 グリロボで協同製作しよう
- P25 CAD/CAM新聞を制作しよう
- P27 おわりに
簡易3次元CADである「立体グリグリ」は,まだ3次元CADが一般的ではなかった1996年に自分がDOS版のフリーソフトとして発表したのが始まりだ。最新のWindows7でも快適に動くソフトとして今でもバージョンUPを繰り返している。
生徒が空間的に考え発想した立体を,オリジナル立体として作り上げさせる実践を,もう15年以上続けてきたことになる。その生徒たちのアイディアの積み上げが立体グリグリを大きく成長させた。テキスト表紙の立体は全て生徒が授業中に3~4時間程度でえがきあげたオリジナル立体だ。今回これに,この数年開発が進められてきた簡易NC加工機「グリロボ」を用いた実践を加えて,CAD/CAM実習のテキストとした。
ディジタル作品の設計・制作というと,Webページの作成や動画編集などが扱われることが多い,しかし,それらは技術教育の核心をつく実践といえるだろうか。技術科の授業,技術教育は何を学ぶ教科であったのかを,コンピュータ学習の視点からあえて問いたい。
教育現場にいると,現実の技術の世界は見えにくいものだが,紙の図面がなくなり,3次元で立体を動かしながら設計をすることが当たり前になっていることに,現場の先生方にぜひ気付いてもらいたい。私たちは,現実社会と無関係な授業をしているわけではない。
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