2012/12/28

このブログ「技術科ノート」を。長らくお世話になったこのBLOGERのシステムに代えて,本日からfacebookのページと呼ばれる機能を使ったページに移行させることにしました。リンク等を張られている方がおられましたら,以後は下記URLになりますので,変更等宜しくお願いします。

移動の理由も最初の投稿で書いてあります。以下のURLへお願いします。

https://www.facebook.com/gijyutu


2012/12/19

コースターづくりでCAD/CAMに夢中!


 簡易CAD/CAM実習で,コースターを作る。加工機(グリロボ)は3台,同時に使える生徒は3人,授業は36人,時間にゆとりがある生徒にレポートを書かせる対策はしたが,正直彼らの関心を引きつけ続けることができるのか不安だった。しかし,今日の授業でその不安は消えてなくなった。

 自分のPCでデータをつくってネットワーク上に保存,加工機につながれたPCでデータを読み込み加工し,また自分の席に戻っては加工する生徒達。たいしたものは作れないとあきらめていた指導者の私,しかし生徒は失敗を繰り返しながら,次々に技術的課題を乗り越えていく。失敗してやりなおし,修正してまた挑戦。この感覚・・・そうこれはロボコンの感覚だ。何度も作り直して納得がいくまで高めていくから,出来なかったことが出来るようになっていってしまう。不思議な感覚だ。


単純な形が精一杯だろうと指導者の私は勝手に思っていた。そんなことはなかった。技術的な課題があればあるほど,何回かの失敗を繰り返して,彼らは加工技術を身に付けていった。出来上がった作品だけを見て,美術的とか批判される方に言いたい。彼らは加工機(グリロボ)が発砲スチロールを熱で溶断加工する特性を理解して,細部の再現性の限界を追求している。彼らの作り上げたデータは,何百個でも量産できる。ただ一つのモノを作り込む工芸的な世界とは対局にあるものづくりの世界だ。

彼らに課した課題は,「2つの色のスチロール版を組み合わせてコースターをつくれ!」ただそれだけ,最初にあったのは私の作った見本数種類さすがに厳しかった。しかし,もう既に40作品程度が完成するに至って,授業に望む生徒の姿が変わってきた。彼らの目標は同級生を超えること。互いに切磋琢磨しはじめた。


 
 

 この4枚の写真は,ある1人の生徒の作品だ,彼は単純に2つを組み合わせるのではなく,ドーナツ型に,しかも数多くの斜め線の入った複雑な形でコースターを完成させた。加工機(グリロボ)の加工ソフトは,線で囲まれたものを切り抜くべき物体と見なすように設定されている。切り抜くべき物体の外形に対して,設定したオフセットの値だけ外側をヒーターが動く,すると仕上がり寸法はほぼ設計通りに仕上がるというわけだ。だから,上の例の場合,同じデータを使って,正方形の外枠つきのデーターと,外枠なしのデータを2つ用意して加工すると,ピッタリはめられることになる。

かつて,オートマ君を使って模型の車を自動化するプログラムを試行錯誤してつくりあげさせたことがあった。似ているが,大きく違うことがある。作り上げられたデータを使えばいくつでも同様のものをつくることができてしまう。

世の中にあふれる様々な工業製品を見て,機械で作ったからみな同じと考えがちだ,しかし,こうして身分で量産部品の試作を経験してみると,その機械を使いこなすためには,その加工機の特性を十分に理解しなければならない。ヒーターで溶断しているから,加工精度は気温にも左右される。大量生産だとしても,一定程度の精度を実現するためには温度管理も大切な要素であることがよくわかる。

2012/12/04

人と土地の不可分な関係

第26回日本民教連交流研究集会にレポーターの1人として参加。午前中の講演は,第五福竜丸展示館の安田さんだった。ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で被爆した第五福竜丸,原爆症を発症した乗組員,次々にみつかった汚染されたマグロ,私の事前の知識はその程度,大学時代の恩師が,第五福竜丸展示館に行くべきだと語られていたことが気になっていた。

安田さんは,事実を今でも調べ続けている。講演では,第五福竜丸とその後の日本での問題というよりも,マーシャル諸島の島々に住む人達について語られた。福島の事故があってはじめて自分達の問題として考えられるようになった自分が恥ずかしい。
アメリカがなぜ,水爆実験にマーシャル諸島を選んだのか。島の自然と共に暮らしてきた人々の暮らしをどう破壊してしまったのか,移住させられたことで何が変わり,なぜ危険だとわかっているのにそのまま暮らすことになっているのか。アメリカにどんな意図があったのか。一つ一つが全て調べ上げられた事実を元に語られた。すごかった。安田さんが語られたのはマーシャルの現代史だった。

かわいそうだとか,援助するとかそういうことじゃない。マーシャル諸島の人達にとって,生活と島々が不可分の関係であったように,我々の生活もまた,この土地と不可分な関係にある。そこには自然があり,自然の元に育まれた文化がある。何も変わらない,明日自分達が同じ立場になったとしても何の不思議もないし,マーシャル諸島の人達がそうであったように,苦しみ子ども達の未来を考え悩み続けるに違いない。

3月11日は私たちにとって特別な日になってしまった。わずか数日で福島第一原発は次々にメルトダウンとした。あの時真剣に悩んだことを忘れてはいけない。家族を西日本に避難させるべきかもしれないと親類と連絡をとりあい。近所には大阪方面に避難した人が大勢いた。避難してきた人もあふれていた。SNSでは東日本にはもう住めないかもしれないとのつぶやきがあふれ,教員の私はこの土地に最後まで残ることを覚悟した。そして,その状況は福島で未だに続いている。

何も特別なことなんかじゃない,私たちはこの土地で生きている。この土地の自然の中で暮らしている。人間と自然との関係,この土地の風土が育む文化,社会,技術。どんなに文明が進んでもその関係は変わらない。